世界中から才能を惹きつける
21世紀に入り、都市人口が農村人口を上回り、都市人が人類の過半数になりました。また、都市がメガシティ化し都市間の競争力が国の力に影響を及ぼすようになりました。
ビジョナリー、クリエイティブな経営者、研究者、アーティスト、観光客、企業を世界中から惹きつけ活性化しないと、都市が衰退してしまうと都市競争力についてのレポートに書いてあります。
人間の本質的な特徴はお互いから学ぶことで、ヒトという生物種は主に、仲間の人間が放つ聴覚や視覚や嗅覚的なヒントから学びます。
ヒトは他の人から実に多くを学ぶので、「あいつできるな、負けられない」と感じながら競争することは大事ですし、他の人がどのように解釈し咀嚼しているかを感じて相互に学び合うことは、もっと大事なのです。
都市の成功は人次第
都市の成功は人的資本あってのもので、多くの小企業と高技能市民‐都市人がたくさんいることで栄えるといいます。そして、いい未来、新しい知恵、新たな思考、新しい価値は、異分野の人との出会い、交流から生まれるとも。
成功する都市となるためには、賢い都市人を集めて彼らが協力して働いたり、交流する場、洗練が必要です。
テクノロジーの進化、都市化の進展
生物の進化は脳という機能を生み出し、脳の進化がヒトを進化させ、脳機能をフル活動させたビジョナリーが文明を進歩させてきました。
300万年前、森から出て脳が発達したのか、脳が発達して森から出たのかヒトは都市人に向けて歩みだしました。
発達した脳は「発明の才能、芸術的創造、複雑な道具を使いこなす」という特質を人間にもたらしました。
ホモサピエンスよりも脳容量が多かったネアンデルタール人は「新たにものを生み出す能力=イノベーション」を持たなかったため、姿を消したと言われています。
ホモサピエンスは独自の資質であるイノベーションによって富を蓄積し、文化を洗練させて都市を築き上げ、アートを生み出しました。
そして脳を解析して人工知能‐AIが生み出され、人類は宇宙に進出するまでになり、2040年には火星に住むと言われています。
テクノロジーの進化、都市化の進展にヒトの意識が追い付いていけなくっている現代、都市はどうなり、都市人である我々はどうしていったらいいのでしょう?
未來を見るには過去を振り返ることが必要です。
日本的贅の極み「市中の山居」
16世紀、堺は日本で一番成功し海外にも知られた都市でした。
堺の人々は激変する国内外で成功するために戦い続け激務の中にあり、激務による心身へのストレスという課題がありました。
その課題解決として堺のクリエイティブが生み出したのが〖戦う人のための静なる場「市中の山居」〗です。
抹茶という嗜好品、抹茶が醸す精神性に叶う抹茶を味わうための美術品、美術品を愛で精神性を高める建築として「市中の山居」は生み出されました。それは四畳半以下の贅を尽くした素朴に見える小屋でした。
戦国時代に日本を訪れたポルトガル人の通訳ロドリゲスは「市中の山居」について「見かけは貧弱な家のようであっても、真実はそれ自身贅沢で金をかけたものである」と記しています。
天や神に近づくための神殿などの宗教建築が王侯の建築のモデルであったのに、田舎の小屋にしか見えない「市中の山居」に金銀宝石よりも価値を見出す日本の支配層の富の価値観に戸惑ったのです。
市中の山居は、建物自体がアート、そして世界初のアートキュレーション空間「床の間」を中心に、ライフスタイル全般の設計がなされていました。
西洋では17世紀ルイ王朝のもとでサロン、19世紀末にウィーンでカフェと、社交場が生まれました。それを遡ること200年、美術品を媒介としたビジョンを磨くための社交空間、ライフスタイルが日本で生み出されていたのです。
和漢のさかいをまぎらかす
市中の山居が流行る前、奈良の村田珠光は「和漢のさかいをまぎらかすこと」が大事と唱えました。
海外からの文化を自国化することが上手な日本人の特性を、異なるものをハイブリッドするセンスを磨くこととして、宋元明文化の日本化を例にとり、新たな時代を切り拓く都市人のスキルとして提唱したのです。
都市の中に田舎家という対極のモノをハイブリッドする「市中の山居」は、脈々と引き継がれてきた日本人の特性の中から生まれたのです。
ハレをツネに、ツネをハレに
山田家家祖であり、茶道宗徧流流祖である山田宗徧は千利休の孫千宗旦に師事しました。京の中心に生まれ最先端の文化を吸収していた宗徧は、師を通して利休の都市精神の結晶侘び数寄と市中の山居を吸収し、「不審庵」という利休のブランドを授与されました。
宗徧は「和漢のさかいをまぎらかす」と「市中の山居」を「ハレをツネに、ツネをハレに」と言い換え、非日常を日常として生きることと、ハイブリッドする力として子孫に伝えています。
また、市中の山居で行われていたリーダーの社交としての「茶の湯」を、作法を学ぶ稽古ごとの道として「茶道」に作り替え、茶道を日本の伝統文化に仕立て上げる重要人物となり、茶道の流派の祖となりました。
稽古ごとの茶道の隆盛と引き換えに、交流の場であった市中の山居は、閉じたコミュニティ内で作法を行う茶室になりました。
都市人が活力を取り戻し、交流する場としての現代の市中はどのようなものか?茶道宗徧流11世家元として試行錯誤をしてきたUCI創設者山田長光はcabinに出会いました。
市中の山居2.0‐UrbanCabin
市中の山居が盛んだった時代から400年。
資本主義の進展による人間性の喪失、デジタル化の進展で対話の減少に疲れた人たちが生み出した、自然の中で回復するための心安らぐ素朴な空間cabinをニューヨークから発信され始めました。
洋の東西を問わず、都市化の課題解決として素朴な空間が選ばれていることを知った山田は、市中をurban、山居をcabinと考え、市中の山居2.0-UrbanCabinではどうだろうか?と閃めきました。西洋の文脈ともつながり世界的なものになると考えたのです。
NASAのエイムズ研究センターがあり、新たなテクノロジーを生み出すシリコンバレーを含むカリフォルニアが生み出したカルチャーは、現代を生きる我々の生活の基礎となりcabinにもつながっています。
鎌倉でカリフォルニアカルチャーの中育った山田が、和と洋、伝統と現代のハイブリッドとして生み出したものがurban cabinなのです。
女性のお稽古事して明治以降発展してきた茶道が日本の伝統文化で果たす役割は大きなものです。urban cabinの活動は茶道宗徧流の伝統を損ねてしまうこともあるので、別の枠組みで行うことが両者の発展につながると考え、ヒッピーカルチャの聖地Esalen Instituteに倣い、山田は本名の山田長光でUrban Cabin Instituteを設立したのです。
Urban Cabin Instituteについて
「市中の山居」という日本独自の価値観を伝える山田家不審庵の11代目山田長光と、山田理絵がファミリーの新たなビジネスとして、一般社団法人山田家内に創立したのがUrban Cabin Instituteです。
アート、空間、教養、作法、旅、脳、テクノロジーなど、都市的な富の遣い方で経営者や企業を洗練、ブランディングし、日本文化だけでなく人類文化を持続的に発展させ、平和な社会をつくる一翼を担っていきます。
Urban Cabin Instituteの事業
山田夫妻の内外のネットワークと時空間体験提供を軸に、日本的贅で都市人を磨き、都市の活性化につなげるハイエンドブランディングを行っています
1,空間プロデュース
・庭
・古民家、小座敷
2,インパクトリーダーシッププログラム
・UC Evangelist
3,ブランディング、ファミリービジネスサポート
4,富裕層旅行の設計
5,アート販売
都市を活性化するファミリービジネス
聖徳太子に仕え、平安京造営にも関わった秦氏、フィレンツェをルネッサンスの都市にしたメディチ家、信長、秀吉を支援した天王寺屋津田家など、ファミリービジネスがその土地を代表し魅力を高めてきました。
ファミリービジネスサポート
ファミリービジネスの組織FBNの世界サミットが2025年に東京お台場で行われることになり、日本の実行委員長に山田理絵が選ばれました。サミットのプロモーションビデオを作成し、日本各地のファミリービジネスを訪問するラーニングジャーニーの企画を行っています。