闘う人たちのための静の場‐建築としてのurban cabin

デジタル時代のリーダーには、激務から心身ともに解放される空間と時間が必要です

urban cabin instituteは

1,アートと対話し美意識を磨く空間

2,自分と向き合い、ビジョンを練る空間

3,日常から離れ、薄暗さの中、心を落ち着け、明日も全力疾走するためのエネルギーを養う非日常空間

4,社員、取引先、客をもてなしたり対話する、自分を表現する空間

として、アート作品urban cabinをプロデュースしています

1‐4をイメージして茶室をつくりたい、アートな空間をつくりたい、urban cabinをつくってみたいなど、ご要望あればお問い合わせください 


アート作品として空間をプロデュース

二畳という世界極小のコミュニケーション空間、小座敷をもとに、一畳は畳、一畳は椅子として、客をもてなしたり、対話の場として使えます

薄暗い空間で心を落ち着け、アートと対話し、美意識を磨き、明日への活力を養うことに使うこともできます

昨今では、茶室と称する建築が多く作られていますが水屋が付属していないことがあります

コンロも流しもないのに台所とは呼ばないように、お茶を点てる準備をするための「水屋」が付属していない建築では茶道が行えないので、小屋と呼ぶような建築になってしまいます



Urban cabin

urban cabinには建築と時空間体験という二つの側面があります

urban cabinについての説明はこちらから

時空間体験としてのurban cabin

場と間(ま)を活かした交渉と対話は、リーダーに必要なスキルです

江戸時代の摂政一条昭良は数寄屋や池を回って対話を行っていました

場面の転換を繰り返すことで緊張と解放の間(ま)を演出して集中力を高め、五感を研ぎ澄まし雑談と本題の間合いをとっていきます


urban cabinの前身「市中の山居」という隠れ家

室町時代、市中の山居という隠れ家社交の場がありました。

市中の山居は、堺や京都など都市の最先端の人たち-ビジョナリーが、日常の瑣事から逃れ自分と向き合いしがらみを断ち切って決断したり、素の自分に戻って考えを整理し閃いたりする、オンオフを切り替えるためのハイエンドな隠れ家空間でした。

「市中の山居」という空間コンセプト

都市の中心‐市中‐にある自宅兼仕事場の裏に麁相な小屋‐山居‐を持ち、物理的にも精神的にもオンオフの切り替えを行い、ビジネスに集中することが最大の贅沢と考えられていたのです。

権力者の接待空間でありながら、山居という田舎の家の姿を美の理想とした空間であることが世界的に見て特異な点でした。他人に気づかいせずありのままでいられる空間は、豪華であるより素朴な建物の方が寛げて落ち着けたのです。

都市の中心にわざわざ山居をつくるのですから、市中の山居それ自体が維持に手間がかかる、道楽の果てにあるアート作品でした。

南宋文化の和風化 市中の山居

市中の山居の原点は、北条政子や源実朝など鎌倉武士の南宋の都市精神、ライフスタイルへのあこがれです。室町時代には天皇、将軍など権力者を、唐物という宋元明の皇帝の美術品などを飾って接待するする中で、300年近くかけて宋風から和風へと日本人の好みに合わせながらライフスタイルを洗練させ、戦国時代に市中の山居は完成していきました。

西洋のキュレーションを400年さきがける床飾り

その過程で美術品を通して美意識やメッセージを伝えるための、日本独自の建築様式である床の間が生まれました。

市中の山居は美術品を飾る床の間を中心に据え、日常ではできない視座の高いコミュニケーションを取るための接待社交空間でした。
美術品を空間の中心とする市中の山居という空間コンセプトと、美術品1点だけを選んで床飾りをして鑑賞させるという方法は、「ホワイトキューブ」、「キュレーション」という概念が生まれる20世紀まで、西洋にはなかった先進的なコミュニケーション術でした。


山田宗徧著茶道便蒙抄の置き合わせ図から、茶室の基本四畳半の図

小座敷

市中の山居はその後茶の湯を行う場へと専門化していきます。

山田家の初代であり茶道宗徧流の流祖山田宗徧は、安土桃山時代につくられた茶の湯のための空間を「小座敷」と呼び、四畳半を基本として小座敷を類型化しました。

市中の山居=茶室

現代では市中の山居は茶室と同義語となり、接待の場という意味合いもほとんどなくなりました。生活様式の洋風化もあり、茶室は茶道の作法を行うところ、堅苦しい修行の場となって、市中の山居本来の意義が失われてしまいました。

市中の山居の完成から400年程経って、生活活様式がガラリと洋風に変わり、日本的空間はあこがれてつくるものではなくなってしまったのです。

市中の山居の隠れ家性はラグジュアリーホテルなど西洋発の生活様式に取って代わられ、もはや市中の山居を持つことは贅沢ではありません。茶室と称して建築家がつくる建物もありますが、記号として茶室が使われるだけで、贅沢というよりはデザインを見せるための建物で、茶道として使えるものでもありません。


Inspiration for your quiet place somewhereを掲げるNY発のCabin Porn

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Cabin

都市での人間性の喪失、コミュニケーションの減少に疲れた人たちが自然の中で回復するために創り出した心安らぐ空間Cabinが西洋でブームになっています。
Cabinは小屋、市中の山居も小屋です。

素朴な小屋で都市のストレスから回復しようと考えるのは洋の東西を問わず同じようで、Cabinは「山居」の西洋版、現代版と言えます。

日本的Cabinはガレージハウス、ツリーハウスなどで、ソロキャンプも同じ嗜好上かもしれません。
市中の山居は、アートが中心であり一時的な社交のための空間で暮らすための設備がないなど、Cabinとは異なる点もいくつかありますが、オンオフを切り替え心のバランスを保つ点は同じです。
市中の山居は禪を修行する僧堂というイメージを込めて形成され、Cabinはカリフォルニアの精神文化革命、インターネットの思想の源流をなしているカウンターカルチャーを背景にしています。


市中の山居×カウンターカルチャー=市中の山居2.0=Urban Cabin

市中の山居の発展には、新たな文化との融合が必要です。

日本という国の特殊性は、中国とアメリカという大国の両方に向き合っているところにあり、宋元明文化の日本化の中から市中の山居が生まれたのですから、アメリカ文化の融合から新たな発展が見込まれます。

Urban Cabin Instituteファウンダー山田長光は、市中の山居を伝統とする茶道の家に生まれ、鎌倉にあふれるカリフォルニアカルチャーに触れて育ち山田の中で両者が融合しています。

山田が考えるポイントは、cabinの文脈にあるカウンターカルチャーが至った意識の拡大です。

自分の中の宇宙を見つめ、空間としての宇宙になった市中の山居。

そこにカウンターカルチャーから生まれた意識の拡大をスパイスに、それ以降生まれたムーブメントも掛け合わせて、人類が向かっている空の向こうの宇宙への意識をつくり、地球とのかかわり方を考えていく時空間コンセプトです。

市中の山居2.0とも言うべき日米文化の融合を、山田がUrban Cabinと名付け、Urban Cabin Instituteを設立し、urban cabinという空間、時空間体験の提供を始めたのです。