urban cabinの前身「市中の山居」という隠れ家
室町時代、市中の山居という隠れ家兼社交の場がありました。
市中の山居は、堺や京都など都市の最先端の人たち-ビジョナリーが、日常の瑣事から逃れ自分と向き合いしがらみを断ち切って決断したり、素の自分に戻って考えを整理し閃いたりする、オンオフを切り替えるためのハイエンドな隠れ家空間でした。
「市中の山居」という空間コンセプト
都市の中心‐市中‐にある自宅兼仕事場の裏に麁相な小屋‐山居‐を持ち、物理的にも精神的にもオンオフの切り替えを行い、ビジネスに集中することが最大の贅沢と考えられていたのです。
権力者の接待空間でありながら、山居という田舎の家の姿を美の理想とした空間であることが世界的に見て特異な点でした。他人に気づかいせずありのままでいられる空間は、豪華であるより素朴な建物の方が寛げて落ち着けたのです。
都市の中心にわざわざ山居をつくるのですから、市中の山居それ自体が維持に手間がかかる、道楽の果てにあるアート作品でした。
南宋文化の和風化 市中の山居
市中の山居の原点は、北条政子や源実朝など鎌倉武士の南宋の都市精神、ライフスタイルへのあこがれです。室町時代には天皇、将軍など権力者を、唐物という宋元明の皇帝の美術品などを飾って接待するする中で、300年近くかけて宋風から和風へと日本人の好みに合わせながらライフスタイルを洗練させ、戦国時代に市中の山居は完成していきました。
西洋のキュレーションを400年さきがける床飾り
その過程で美術品を通して美意識やメッセージを伝えるための、日本独自の建築様式である床の間が生まれました。
市中の山居は美術品を飾る床の間を中心に据え、日常ではできない視座の高いコミュニケーションを取るための接待社交空間でした。
美術品を空間の中心とする市中の山居という空間コンセプトと、美術品1点だけを選んで床飾りをして鑑賞させるという方法は、「ホワイトキューブ」、「キュレーション」という概念が生まれる20世紀まで、西洋にはなかった先進的なコミュニケーション術でした。
小座敷
市中の山居はその後茶の湯を行う場へと専門化していきます。
山田家の初代であり茶道宗徧流の流祖山田宗徧は、安土桃山時代につくられた茶の湯のための空間を「小座敷」と呼び、四畳半を基本として小座敷を類型化しました。
市中の山居=茶室
現代では市中の山居は茶室と同義語となり、接待の場という意味合いもほとんどなくなりました。生活様式の洋風化もあり、茶室は茶道の作法を行うところ、堅苦しい修行の場となって、市中の山居本来の意義が失われてしまいました。
市中の山居の完成から400年程経って、生活活様式がガラリと洋風に変わり、日本的空間はあこがれてつくるものではなくなってしまったのです。
市中の山居の隠れ家性はラグジュアリーホテルなど西洋発の生活様式に取って代わられ、もはや市中の山居を持つことは贅沢ではありません。茶室と称して建築家がつくる建物もありますが、記号として茶室が使われるだけで、贅沢というよりはデザインを見せるための建物で、茶道として使えるものでもありません。
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